頌栄女子学院2021
39/52

1999年3月卒業 森  麻季人には出会いのタイミングや縁というものがあります。私は頌栄との縁がターニングポイントでした。小学校があまり好きではなく、自分の居場所は学校というところにはないと、幼心に思っていました。そんな私の不安は頌栄に入学すると一変。母がこんなエピソードを覚えています。「ママ、頌栄では思ったことを口に出して言えるんだよ。頑張りすぎなくていいみたい」と私が話したことを。頌栄で出会った友人たちとは教育方針も様々な感覚も似ている…。それまでの窮屈さ、理不尽さから解き放され、私にとって居心地のいい場所ができたのです。日本テレビアナウンサー時代、ある選手にインタビューしたときの印象的な言葉があります。「上手くいく時は、心がスッとしていて、何も考えていないに等しい感覚」つまり、いい具合に力が抜けたときが一番いいパフォーマンスができるということ。頌栄での私は自然と「力を抜く」ことができていたのかもしれません。2004年3月卒業 彦根 麻由私は小学校の数年間をイギリスで過ごし帰国生枠で頌栄女子学院へ入学しました。6 年間バスケットボール部に所属、中学3年からは生徒会の活動にも参加していました。頌栄は、育ってきた環境が全く違う、考え方も違う、それでもみんながクラブ活動や行事にひとつになって打ち込める場所でした。目標に向かって努力することの楽しさ、仲間と作り上げる達成感、自分が選んだ道を完遂する責任感を身につけた6年間でした。私は現在都内の病院で感染症を専門とした内科医として働いています。奉仕の心、他人を思いやる気持ちは医療の根源ともいえますし、頌栄での毎日の礼拝を通して学んだことでした。将来は国際保健にも携わりたいと思っています。世界の医療に興味を持てるのも頌栄で培った語学力とグローバルな視野のおかげだと思っています。頌栄で過ごした日々は、学生生活だけで終わらせることなく、その後も長くその糧を活かせる素晴らしい6年間だったと思います。現在の仕事:フリーアナウンサー現在の仕事:内科医(感染症科)- 38 - 現在の仕事:2004年3月卒業 中島 朋子「私、頌栄の出身なんですよ」という時のちょっと誇らしい気持ちは、頌栄生の持つしなやかな強さや困難に挑戦し続ける性格を思い描いているからかもしれません。私はユニセフの教育担当官として、途上国等の恵まれない子どもたちが質の高い教育を受けられるよう、支援を行っています。小学生の頃に抱いた、世界の子どもたちのために仕事をしたいという想いを膨らませてくれたのは、頌栄時代に数多く参加したボランティア、慰問を積極的に行っていた聖歌隊、学校の奉仕活動をリードしていた生徒会での活動でした。聖書を6年間丁寧に勉強した経験は、様々な国から来る同僚たちとの交流や、文化や宗教を尊重する教育支援に大きく役立っています。また卒業後、ユニセフで働くことを幾度も挑戦し続ける中で、お互いの夢を応援し合える友人達を得られたことも在学中得た財産の一つです。1997年3月卒業 小林さより2011年~2014年にかけて「国境なき医師団」(MSF)にてケニア・南スーダン・パキスタン・ヨルダン・日本(東日本大震災)のミッションに参加した。頌栄に通っていた15歳の時からアフリカで働くこと、また難民キャンプで働くことを考え、医師という道を選んだ私にとって「国境なき医師団(MSF)」に参加することはとても自然な流れでした。それがいつも頭の中にあったので、小児科医になると決めてはいたものの、外科の勉強や簡単な縫合処置などは出来るように心がけており、それはこれらのミッションで非常に役に立ちました。様々な国で自分と全く違う状況下で生きいいる人達と出会うたびに、もし私がその状況で生まれていたら、と考えずにはいられません。私たちがいかに幸運×幸運×幸運の元に生まれてきたのか、そしてまたこの世界にはそうでない人がいかに多くいるのか、私たちは決して忘れてはいけないと思います。UNICEF(国際連合児童基金)教育担当官ミャンマーで従事現在の仕事:小児科医

元のページ  ../index.html#39

このブックを見る